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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)6609号 判決 1974年6月10日

被告人 松平直彦 外一五名

主文

一  被告人中野勝輝を懲役六年に、

同松平直彦および同八木健彦を各懲役五年六月に、

同大久保文人および同森輝雄を各懲役四年に、

同工藤幹雄、同伊藤幸雄、同若宮正則、同大越輝雄、同重松雍明、同日浅育治、同博田純、同若林賢二、同深尾昌彦、同福田隆之および同穂積右一を各懲役三年に、

それぞれ処する。

二  未決勾留日数中、被告人中野勝輝および同八木健彦に対し、各九二〇日を、同松平直彦に対し、七〇〇日を、同大久保文人に対し、四〇〇日を、同森輝雄に対し、二六〇日を、同工藤幹雄および同伊藤幸雄に対し、各五三〇日を、同若宮正則に対し、六〇〇日を、同大越輝雄および同福田隆之に対し、各七五〇日を、同重松雍明および同若林賢二に対し、各五一〇日を、同日浅育治に対し、五八〇日を、同博田純に対し、四八〇日を、同深尾昌彦に対し、五二〇日を、同穂積右一に対し、五六〇日をそれぞれの刑に算入する。

三  被告人工藤幹雄、同伊藤幸雄、同若宮正則、同重松雍明、同日浅育治、同若林賢二、同深尾昌彦、同福田隆之および同穂積右一に対し、いずれも、この裁判が確定した日から四年間、右各刑の執行を猶予する。

四  訴訟費用は、国選弁護人中浜辰男に支給した分を、被告人中野勝輝の、国選弁護人大越譲に支給した分を被告人大久保文人の、証人大桑隆に昭和四七年三月二四日支給した分、同大川保夫に同年八月二二日支給した分および同松平淑子に支給した分を、被告人松平直彦の、証人重松由紀に支給した分を、被告人重松雍明の、証人森總子に支給した分を、被告人森輝雄の、証人黒田末寿に支給した分を、被告人福田隆之のそれぞれ負担とし、証人小野信爾に支給した分を、被告人若林賢二および同深尾昌彦両名の、証人濱一夫に支給した分を、被告人若宮正則を除く全被告人一五名の、証人雨宮昭三に支給した分を、被告人若宮正則および同重松雍明を除く全被告人一四名の、その余の分を、全被告人一六名のそれぞれ平等負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一(いわゆる大菩薩峠事件)

被告人らは、いずれも、いわゆる「前段階武装蜂起」の理論を掲げて過激な武力闘争を主張している共産主義者同盟赤軍派(以下単に「赤軍派」とする。)に属するか、あるいはこれに同調していた者であるところ、赤軍派では、昭和四四年一〇月二一日夜のいわゆる「一〇・二一国際反戦デー」において、武力闘争に失敗したが、同月二四日の東京都文京区所在の禅林泉寺における地区代表者会議等において、右失敗の原因は、自己らが爆弾等の武器の扱いに未熟であつたことにあるとして、軍事訓練の計画がなされ、その場所として大菩薩峠が検討の対象とされ、被告人松平ほか一名が、その視察に行くこととなつた。一方、これと併行して、同派政治局員塩見孝也ら幹部は、同年一一月中旬に予定されていた佐藤首相訪米前に、首相官邸襲撃占拠を企図し、福島や茨城等各地の構成員らに対し、そのための鉄パイプ爆弾・火炎びん・ピース缶爆弾等の製造・調達や宿舎の確保などを指示し、その準備を進めた。そして、同年一〇月二八日夜の同都北区の赤羽台団地における拡大中央委員会、同月三一日夜の同都文京区小石川の富坂ゼミナーハウスにおける幹部会議等において、右塩見や政治局員である被告人中野および同八木の両名や被告人松平、同大久保そのほか数名ないし二〇名くらいの者が集合し、塩見らによつて「一一月はじめの大菩薩峠での軍事訓練の直後、首相官邸を武装襲撃占拠する。主要武器として現在製造中の鉄パイプ爆弾等を用いる。」旨の説明等がなされるに至り、一〇月下旬から一一月初旬にかけて、各地で参加人員の募集が行なわれ(但し、単に軍事訓練ということで参加を呼びかけられた者もいる。)、また福島あるいは弘前における鉄パイプ爆弾製造等の武器製造・調達も進行し、被告人松平らによる大菩薩峠の視察、宿泊の予約、大川保夫らによる首相官邸付近の視察等も行なわれたうえ、一一月二日昼ころ東京都台東区所在の上野ステーシヨンホテルにおいて、幹部会議が行なわれ、右塩見、被告人松平ほか数名が出席し、右大川らの首相官邸付近の警備状況の視察報告をもとに、部隊編成が決められ、部隊長の人選が行なわれたほか、警備が比較的手薄になる時期を選ぶということで検討の結果、決行日を一一月七日早朝とすることが決められた。

被告人大越を除く全被告人を含む赤軍派(これに同調する者を含む。)学生ら五〇数名は、同年一一月三日午後(大多数は三時から五時までの間、一部遅れて八時ころまでの間)、山梨県塩山大字上萩原字萩原山四、七八三の一番地福ちやん荘こと雨宮昭三方に集合した。なお、その際、木村一夫はピース缶爆弾(たばこ「ピース」空缶にダイナマイト約二〇〇グラムおよびパチンコ玉数個を詰めて工業用雷管付導火線を装着した爆発物。赤軍派内で「みかん」と呼ばれることもある。)三個を携行し、同日午後五時ころ被告人中野らに渡し、それは福ちやん荘二階しらべの間の押入内に保管された。そして同日午後六時三〇分ころから八時すぎころまでの間、同荘二階しらべおよびしらかばの両間において、前記五〇数名の者の大多数が集まつて会議を開いたが(被告人大越を除く全被告人出席)、その席上、まず、被告人八木が「世界の諸情勢をみれば、今こそ革命のチヤンスだ。赤軍では佐藤首相訪米阻止に向け首相官邸を襲撃占拠し革命の突破口を開かねばならない。」旨の演説をし、次いで被告人松平が「我々は、一一月闘争として、首相官邸を襲撃して占拠する。一一月六日には全共闘の集会があり、これが終われば機動隊も気を抜いて手薄になるから我々はそこをつくことにする。六日の朝ここを出発して千葉の兵舎に一泊し、七日の朝三時に五台のトラツクに乗つて出発、一斉に攻撃する。(黒板に首相官邸周辺を図解しながら)一隊は正門から官邸を攻撃する。武器は鉄パイプ爆弾(赤軍派内「鉄管爆弾」。「鉄びん」とも呼ばれる。)・火炎びんなどを使う。二隊は、鉄パイプ爆弾・ナイフ・ゲバ棒などで武装、塀の上に乗つて爆弾を官邸内に投げ込み機動隊をせん滅して占拠する。三隊は通用門から機動隊を鉄パイプ爆弾などで攻撃して官邸内に突入する。四隊は三年町交差点方向、五隊は警視庁方向。六隊は国会方向からの機動隊に備え、トラツクを止め、路上にガソリンか重油を撒いて火炎びんで火をつけて阻止線を張り、鉄パイプ爆弾などを使つて一・二・三隊を援護する。七隊は遊撃隊として、交差点の中央付近において部署のいかんを問わず手薄になつたところを援護する。八隊は決死隊として、四、五名で警視庁を襲撃し、機動隊を牽制する。その志願者を募るが、ないときは四日夜までに指名する。鉄パイプ爆弾は二〇〇本使う。占拠後逃げ遅れた警察官らを人質にし、これとひきかえに政治犯の釈放を要求する。ピース缶で作つた爆弾もあり、中に火薬が入つている。導火線は以前は一二センチだつたが一秒に一センチ燃えるため時間がかかり、もみ消されるので、六センチにしてある。導火線にテープが巻いてあるから、それを解いて点火し、二、三秒してから投げる。」旨の指示説明を行ない。その途中、酒井隆樹が鉄パイプ爆弾について黒板に図解しながら、その構造、成分、使用法の説明をし、威力について「水中で実験した際、水柱が一〇メートルにも上つた。近くで爆発するとけがをするから二〇メートル以上投げるように。」などと説明し、被告人大久保は部隊編成の発表を行なつた。右演説・指示説明を聞いた大多数の者(被告人大越を除く全被告人を含む)は、黙示のうちに、これに賛同し、首相官邸襲撃に加わる決意を固めた。なお、右会議の前後にわたつて逮捕された場合の連絡等のためほとんどの者がいわゆる救対名簿に氏名・組織名等を記入して被告人中野ら幹部へ提出し、被告人中野は右会議中、階段付近でトランジスターラジオを携帯し、音量を調節して、会議の内容が外にもれないようにし、見張りをしていた。

翌一一月四日早朝、渡辺某ほか一名によつて、火炎びん五本と登山ナイフ三四丁(昭和四七年押第一九五八号の符号二一、以下押番号は単に「符二一」のように略記する)が福ちやん荘に搬入されたのち、午前九時ころ、別の任務を持つ少数の者を除く大多数の者約五〇名は、同荘を出て、山を登り、午前一〇時三〇分ころ、同市大字上萩原四、七八三番地塩山市営避難小屋通称無人小屋周辺に集結したが、その際、被告人大久保は、自己の作成にかかる部隊編成メモ(符四〇)に基づいて、前夜の発表とは若干の変動のある部隊編成を発表し、各部隊の任務、役割などについて、前夜の被告人松平とほぼ同様の詳細な説明をしたうえ、当日の訓練の説明をした。部隊編成において、被告人松平は第一中隊長で、被告人若宮、同穂積はその下に属し、被告人博田は第二中隊長で、被告人日浅はその下に属し、被告人大越は第四中隊長で、被告人伊藤、同工藤はその下に属し、被告人大久保は第五中隊長、被告人森は第六中隊長、被告人深尾、同若林および同重松は、いずれも第七中隊に属した(被告人福田については所属は不明である。)。

その後、同日午後一時ころ、第一、第二、第三中隊は無人小屋から約七〇〇メートル下のガレ場に下りて、被告人松平の総指揮のもとに、第四、第五、第七中隊(被告人森も参加)は無人小屋周辺の広場で、被告人大久保の総指揮のもとに、それぞれ、首相官邸襲撃のときの任務分担にしたがつて、石塊や木の枝を用いて鉄パイプ爆弾の投てき・使用の訓練やいわゆるゲバ棒による突撃訓練をし、午後二時ころ第四、第五、第七中隊が、第一、第二、第三中隊に合流し、被告人松平の指揮のもとに、触発性火炎びん五本の投てき訓練をし、午後四時ころ福ちやん荘へ着いた。なお、右訓練に際し、半数以上の者が前記登山ナイフを一丁ずつ首相官邸襲撃の際用いるものだということで配布を受けたが、訓練終了後回収されている。その間、第六中隊の隊員は買い出し、見張り、連絡等の任務に従事し、被告人中野は、福ちやん荘と訓練現場付近を往復するなどして見張りや連絡などをし、被告人八木は、訓練には参加していないが、少し離れた位置でこれを視察し、被告人穂積は、訓練参加後午後二時ころ劉世明ほか二名とともに武器調達の任務を帯びて下山し、福ちやん荘には戻らなかつた。

同日午後三時ころ、被告人大越が、福ちやん荘に、鉄パイプ爆弾(直径約二センチメートル、長さ約二五センチメートルの両端ネジ蓋付鉄パイプに塩素酸カリ、砂糖、黄血塩の混合粉末を充填したものおよび濃硫酸入りのコルク栓付試験管からなり、後者を前者に差し込み、投てき等により衝撃を与え、試験管が割れて、濃硫酸が右混合粉末に触れると化学反応を起こして爆発する機能を有するもの)一七本を、濃硫酸入り試験管と分離したまま運び込み、被告人中野らにこれを渡し、それは、前記ピース缶爆弾と同様、二階しらべの間の押入内に保管された。以後、被告人大越も、前記のような計画・訓練の概要を知りつつ、前記五〇数名の者と合流した。

なお右鉄パイプ爆弾および前記ピース缶爆弾は、被告人中野、同八木、同松平および同大久保においては、その一部を翌日の訓練に実験用として用い、その残余を首相官邸襲撃に用いる意図であつたが、他の被告人全員およびその余の大部分の者も、被告人松平の説明などによつて、右爆弾が福ちやん荘に来ていることおよびその右のような使用目的について、少なくとも未必的認識、それも確定的認識に極めて近いものをもつていた(但し、被告人穂積については、鉄パイプ爆弾の関係を除く。)。

そして、同日午後五時ころから約一時間にわたつて、前夜と同様に、福ちやん荘二階で会議が開かれ、被告人松平および同大久保が中心となつて、当日の訓練結果の検討がなされ、鉄パイプ爆弾の運搬方法等の点について討議したのち、同夜一〇数名の者が、父母等にあてて、遺書的内容の手紙等をしたためた。

しかし、翌一一月五日午前六時すぎころ、福ちやん荘で就寝中のところを、警察官らに踏み込まれ、まもなく兇器準備集合罪の現行犯人として、同荘にいた五〇数名全員が逮捕されたため、前記の首相官邸襲撃占拠の計画は挫折した。

以上のようにして、

一  被告人中野勝輝、同八木健彦、同松平直彦および同大久保文人は、前記塩見孝也らと共謀のうえ、昭和四四年一一月三日午後から同五日午前六時ころまでの間、

(1) 前記の福ちやん荘および前記の山中において、前記のとおり赤軍派の者多数で共同して首相官邸を襲撃し、警備の警察官らに危害を加える目的で、そのための攻撃用武器として同荘に鉄パイプ爆弾一七本、ピース缶爆弾三個および登山ナイフ三四丁を準備して、赤軍派の者約五〇名を動員して集結させ、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して人を集合せしめ、

(2) 治安を妨げ、人の身体・財産を害せんとする目的をもつて、爆発物である鉄パイプ爆弾一七本およびピース缶爆弾三個を前記福ちやん荘に持ち込んで保管して所持し、

(3) 前記福ちやん荘での二回の会議および前記の山中において、赤軍派の者約五〇名に対し、同月七日早朝の首相官邸襲撃計画について前記のような指示・説明をなし、右計画の実行に際し、多数の鉄パイプ爆弾およびピース缶爆弾を使用することに賛同させ、前記の山中で、前記の爆弾の投てき・使用訓練を行なわせるなどし、もつて治安を妨げ、人の身体・財産を害せんとする目的をもつて爆発物を使用することを、さらに右約五〇名の者と共謀し、

(4) 前記首相官邸襲撃にあたり警備の警察官らを殺傷することがあつてもやむをえないとして、前記約五〇名の者に対し、右(3)記載の指示・説明および前記のような各種訓練をなし、もつてこれに賛同した右約五〇名の者とともに殺人の予備をなし、

二  被告人工藤幹雄、同伊藤幸雄、同若宮正則、同重松雍明、同日浅育治、同博田純、同若林賢二、同深尾昌彦、同森輝雄および同福田隆之は、前記一記載の日時に、前記福ちやん荘および前記の山中において、

(1) 前記の赤軍派の者五〇数名が共同して首相官邸を襲撃し、警備の警察官らに危害を加える目的で集合した際、そのための攻撃用武器として鉄パイプ爆弾一七本、ピース缶爆弾三個および登山ナイフ三四丁が同荘に準備されていることを知りつつ右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器の準備あることを知つて集合し、

(2) ほか約四〇名の赤軍派の者とともに、同派幹部らによる前記一(3)記載の指示・説明を受けて、首相官邸襲撃計画の実行に際し、多数の鉄パイプ爆弾およびピース缶爆弾を使用することに賛同し、前記の爆弾の投てき・使用訓練を行なうなどし、もつて治安を妨げ、人の身体・財産を害せんとする目的をもつて爆発物を使用することを幹部を含むほか四〇数名の赤軍派の者と共謀し、

(3) 前記首相官邸襲撃にあたり警備の警察官らを殺傷することがあつてもやむをえないとして、ほか約四〇名の赤軍派の者とともに、右(2)記載のように、幹部らによる指示・説明に賛同し、前記のような各種訓練を行なうなどし、もつて幹部を含むほか四〇数名の赤軍派の者とともに殺人の予備をなし、

三  被告人穂積右一は、昭和四四年一一月三日午後から同月四日午後二時ころまでの間、前記福ちやん荘および前記の山中において、

(1) 前記の赤軍派の者五〇数名が共同して首相官邸を襲撃し、警備の警察官らに危害を加える目的で集合した際、そのための攻撃用武器としてピース缶爆弾三個および登山ナイフ三四丁が同荘に準備されていることを知りつつ右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて集合し、

(2) ほか約五〇名の赤軍派の者とともに、前記福ちやん荘での会議および前記の山中において、同派幹部らにより前記のような首相官邸襲撃計画についての指示・説明を受けて、右計画の実行に際し、多数の鉄パイプ爆弾およびピース缶爆弾を使用することに賛同し、前記の爆弾の投てき・使用訓練を行なうなどし、もつて治安を妨げ、他人の身体・財産を害せんとする目的をもつて爆発物を使用することを、幹部を含むほか五〇数名の赤軍派の者と共謀し、

(3) 前記首相官邸襲撃にあたり警備の警察官らを殺傷することがあつてもやむをえないとして、ほか約五〇名の赤軍派の者とともに、右(2)記載のように、幹部らによる指示・説明に賛同し、前記のような各種訓練を行なうなどし、もつて幹部を含むほか五〇数名の赤軍派の者とともに殺人の予備をなし、

四  被告人大越輝雄は、

(1) 昭和四四年一一月三日午後から同月五日午前六時ころまでの間、前記福ちやん荘および前記の山中において、前記の赤軍派の者五〇数名が共同して首相官邸を襲撃し、警備の警察官らに危害を加える目的で、そのための攻撃用武器として同荘に鉄パイプ爆弾一七本、ピース缶爆弾三個および登山ナイフ三四丁を準備して集合した際、同月四日午後三時ころ右鉄パイプ爆弾一七本を持ち込んで右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して集合し、

(2) 右(1)記載の五〇数名が、同月三日午後から同月四日午後にかけて、同荘および右山中において集結し、前記のように、赤軍派幹部らにより首相官邸襲撃計画の指示・説明により、右計画の実行に際し多数の鉄パイプ爆弾およびピース缶爆弾を使用することとし、爆弾の投てき・使用訓練をした際、同月四日午後三時ころその事情を諒知しながら鉄パイプ爆弾一七本を携行して右集団に加わり、同夜の前記会議に出席し、討議に参加するなどし、もつて治安を妨げ、人の身体・財産を害せんとする目的をもつて爆発物を使用することを、右五〇数名と共謀し、

(3) 右五〇数名が、前記首相官邸襲撃にあたり警備の警察官らを殺傷することがあつてもやむをえないとして、右(2)記載の日時・場所において集結し、前記計画を実行することとし、前記のような各種訓練を行なつた際、右(2)記載のとおり右集団に加わつて同夜の討議に参加し、もつて右五〇数名とともに殺人の予備をなし

たものである。

第二(いわゆる四四・四・二七、二八東京医科歯科大学事件)

被告人中野勝輝は、ほか多数の学生、労働者らとともに、昭和四四年四月二八日のいわゆる「四・二八沖繩デー」に際し、霞ヶ関一帯の政府機関の実力占拠を企図し、

(1)  同年同月二七日午後六時ころ、社学同系学生ら約三〇〇名と共謀のうえ、東京都文京区湯島一丁目五番所在東京医科歯科大学を右企図実現のための拠点として占拠しようと企て、同大学医学部付属病院のある第三号館(同大学学長太田啓三管理)に侵入し、もつて故なく他人の看守する建造物に侵入し、

(2)  右侵入後引き続き、右学生ら約三〇〇名並びに同日午後七時すぎころ入つてきた中核系およびML系の学生ら合計約二〇〇名と共謀のうえ、同大学医学部付属病院の地階・一階・二階の各一部を占拠し、右各階の出入口および廊下などにロツカー、椅子などでバリケードを構築し、さらに鉄パイプ・ツル柄用樫棒・石塊などを各自携帯するなどして翌二八日午後四時すぎころまで同所に滞留し、よつて、その間同病院の診療を不能ならしめ、

(3)  右(2)記載の学生らが、前記企画実現のため、警備の警察官らの身体・財産に対し共同して投石・殴打するなどの暴行を加える目的で、同月二七日午後六時すぎころから同病院内において多数の鉄パイプ、ツル柄用樫棒、石塊などを準備して集合したうえ、引き続き右集合状態を継続しつつ翌二八日午後四時すぎころ同大学お茶の水門前付近路上に進出した際、ツル柄用樫棒一本を所持して右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して集合し、

(4)  前記(2)記載の学生ら合計約五〇〇名と共謀のうえ、同月二八日午後四時すぎころ、同大学お茶の水門付近から同所聖橋下付近までの路上において、右(3)記載のとおり同大学内から兇器を携行して出発した右学生らの集団を制止・検挙などの職務に従事していた警視庁警察官らに対し、多数の石塊を投げつけ、ツル柄用樫棒・鉄パイプなどで殴りかかり、あるいは体当りするなどの暴行を加え、もつて右警察官らの職務の執行を妨害し

たものである。

第三(いわゆる九・三〇西五反田派出所事件)

被告人松平直彦および同森輝雄は、

(1)  一〇数名の赤軍派の学生らと共謀のうえ、警視庁大崎警察署西五反田派出所を襲撃し、警察官から拳銃を強取しようと企て、昭和四四年九月三〇日午後七時ころ、東京都品川区西五反田三丁目一一番地所在の右西五反田派出所近辺において、右学生ら一〇数名とともにつる柄用樫棒五本を用意して集合しながら襲撃の機をうかがい、もつて強盗の予備をなし、

(2)  右日時、場所において、右学生ら一〇数名とともに、右同様の企図のもとに、右つる柄用樫棒五本を準備して集合し、もつて、他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して集合し

たものである。

第四(いわゆる一〇・二一中野坂上事件)

赤軍派は、昭和四四年一〇月二一日のいわゆる「一〇・二一国際反戦デー」に、警視庁新宿警察署襲撃を企図したが、その際、

(1)  被告人松平直彦は、ほか数名と共謀のうえ、自らも、同日正午ころ東京都代々木所在の日本デザインスクール寮において赤軍派の学生ら数名に対し、当日の戦術について、「赤軍派の者は、夕刻東京薬科大学前に集結し、三台のトラツクに分乗して新宿警察署を襲撃するが、途中で機動隊と遭遇すれば、その地点で火炎びん等の武器で戦う。」旨の説明とともに、武器運搬について指示したうえ、その後も電話で他の赤軍派の学生らに集合するよう連絡するなどして、同日午後一〇時三〇分ころ、東京都新宿区柏木四丁目九一一番地付近において、警察官および警備車両等に火炎びんを投てきし危害を加える目的をもつて、火炎びん(ガラスびんにガソリン・灯油・濃硫酸の混合液を入れて栓をしたもの)約二〇本を準備して赤軍派の学生ら約八〇名を集結させ、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して人を集合せしめ、

(2)  被告人森輝雄は、同日午後一〇時三〇分ころから一一時七分ころまでの間、右同所から、赤軍派の学生ら一〇数名が、右同様の企画のもとに、右火炎びん約二〇本を携行して小型四輪貨物自動車に乗車し、同都中野区本町一丁目三二番地中野坂上交差点付近まで進行した際、火炎びん一本を所持して右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して集合し、

(3)  被告人松平直彦および同森輝雄は、右(2)記載の一〇数名と共謀のうえ、同日午後一一時七分ころ、右中野坂上交差点付近において、警ら用無線自動車の内外で警備および交通規制に従事中の警視庁巡査佐藤忠市ほか数名の警察官に対し火炎びん数本を投げつけ、もつて右警察官らの職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(第一の事実の認定についての若干の説明)

一  検察官は、兇器準備結集および同集合の訴因(判示一ないし四の各(1)に対応)において、兇器として判示の爆弾類、登山ナイフのほかにくり小刀八丁を掲げている。しかし、関係各証拠によれば、右くり小刀八丁(符二)は、酒井隆樹らいわゆる福島グループにおいて準備したものであり、その福ちやん荘における保管の状況も、同種の兇器である登山ナイフ三四丁とはまつたく異なつており、福島グループの者は別として、それ以外の者がその存在およびそれが首相官邸襲撃に使われる物であることを知つていたと認めるに足りる証拠はないのであつて、本件首相官邸襲撃計画は、各人持ち寄りの武器を使うといつた形態ではなく、幹部らが全体の共用の武器として用意した爆弾類を用いるという内容のものであるという本件の特質に鑑み、全被告人(右くり小刀の携行に関与した福島グループに属した者はいない)について、判示のとおりこれを除外して認定した。また、検察官は、被告人穂積に対する兇器準備集合の訴因(判示三(1)に対応)において、兇器として、鉄パイプ爆弾一七本を掲げているが、これは、同被告人が、ほか約五〇名の者と別れて下山したのちに、福ちやん荘に運び込まれていることが明らかであるから、同被告人について判示のとおりこれを除外して認定した。

なお、検察官は、一一月四日の山中での訓練において、登山ナイフ等による警察官らへの刺突訓練が行なわれた旨主張しているが、判示のとおり登山ナイフが各人に配布されたことは認められるも、これを用いて組織的に刺突訓練をしたと認めるに足りる証拠は見あたらない。

二  次に、被告人・弁護人は、「首相官邸襲撃計画は、本件当時いまだまつたく机上のプランにすぎず、大菩薩峠における軍事訓練の結果をみて、具体的な計画を練り遂行するか否かを決めることになつていたものであり、鉄パイプ爆弾一七本およびピース缶爆弾三個は、いずれも一つ残らず大菩薩峠における訓練や実験に使用するものであり、登山ナイフもあくまで訓練用のものにすぎない。また右各爆弾について、そもそもそれが客観的に爆発物にあたるとみるのは疑問であるし、ごく一部の被告人を除いて、他の大多数の者は、これらが福ちやん荘に準備されていることを知らなかつたし、ましてこれらが首相官邸襲撃用のものであるとの認識はなかつた。」などと主張し、その旨の被告人らの当公判廷における各供述もあるところである。

しかし、関係各証拠によると、福ちやん荘に結集した五〇数名の大多数が大菩薩峠での軍事訓練終了後死を賭して首相官邸襲撃を敢行するとの決意を固めていたことが明らかであり、その他、同荘における被告人松平、同大久保らの発言内容、幹部らによる事前の会議の内容、首相官邸襲撃に照準を合わせての各地における鉄パイプ爆弾製造その他の武器調達等の進行等に鑑みると、首相官邸襲撃計画が単なる机上のプランにすぎないとは到底いえず、本件大菩薩峠における会議・訓練はまさに首相官邸襲撃計画に直結するものとみるのが相当である。また、本件鉄パイプ爆弾およびピース缶爆弾が爆発物にあたることは疑いの余地がない。問題はその使用目的であるが、一一月五日に鉄パイプ爆弾を使つての訓練ないし実験が行なわれることになつていたことは明らかであるところ、その使用本数は一一月四日の会議でも話されていないのであつて、大桑隆の検察官に対する昭和四五年三月三日付供述調書(謄本)第四項目中の「一一月二日上野ステーシヨンホテルで塩見孝也が爆弾の本数が少ないので、三、四本を訓練に使い、残りは爆弾投てき部隊に渡す旨話していた」との供述記載や、大久保文人の検察官に対する昭和四四年一一月一九日付供述調書第二項中の「五日は同所で鉄パイプ爆弾とピース缶爆弾の持つていつた一部をテストするということであつた」旨の供述記載のほか、関係各証拠によつて認められる鉄パイプ爆弾製造の進行状況等からみて、被告人中野ら幹部において、一七本全部を訓練・実験に費消する予定であつたとは到底認められず。ピース缶爆弾三個については、鉄パイプ爆弾に比べて高価であること、導火線の長さも実戦用に切りつめられていること、訓練・実験に使用の予定があつたか否かが、鉄パイプ爆弾に比べてあいまいであること、および前記被告人大久保の供述調書の記載等を総合すると、被告人中野ら幹部において、全部を訓練・実験に費消する予定であつたとは認められず、結局、両爆弾ともその一部もしくは全部が首相官邸襲撃計画の実行の際に用いられる予定になつていたと認めるのが相当であり、一一月五日朝の逮捕の時点では、訓練・実験用のものはどれであるというように特定されておらず、いずれも右計画の実行に使用される可能性を有していたものである。

次に、被告人中野、同八木、同松平および同大久保以外の者らについては、全被告人を含む大多数の者において、被告人松平らの指示等により、両爆弾が福ちやん荘に着いていることを確定的に知つていたか、あるいは、一一月三日夜の会議の際の幹部らの・指示・説明内容からして、多分福ちやん荘にも一部分が着いているだろうとの認識をもつていたと認められ、福ちやん荘における二回の会議の状況、山中での説明、訓練の状況からして、少なくとも、それらの一部は実戦に用いられるものであろうとの認識を有していたと認めるのが相当である。なお、登山ナイフについては、実戦用のものでもあることおよびその旨の被告人らの認識があつたことについては疑いの余地がない。

したがつて、被告人・弁護人の主張は理由がなく、判示のとおり認定した次第である。

(確定裁判)

一  被告人松平直彦は、

(1)  昭和四六年五月二七日東京地方裁判所で兇器準備集合、住居侵入の各罪により懲役一年二月(三年間執行猶予、未決勾留日数四〇日算入)に処せられ、右裁判は昭和四八年五月三〇日確定し、

(2)  昭和四七年二月一日大阪高等裁判所において強盗予備罪により懲役六月(未決勾留日数刑に満つるまで算入)に処せられ、右裁判は同年七月二五日確定し、

二  被告人大久保文人は、

(1)  昭和四五年一〇月五日東京地方裁判所において兇器準備集合罪により懲役六月(未決勾留日数刑に満つるまで算入)に処せられ、右裁判は昭和四六年九月二四日確定し、

(2)  昭和四七年二月一日大阪高等裁判所において強盗予備罪により懲役六月(未決勾留日数刑に満つるまで算入)に処せられ、右裁判は同月一六日に確定し、

三  被告人大越輝雄は、昭和四七年七月一一日京都地方裁判所において、集会・集団行進及び集団示威運動に関する京都市条例違反、兇器準備集合、公務執行妨害、傷害の各罪により懲役四月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同月二六日確定し、

四  被告人森輝雄は、昭和四七年二月一日大阪高等裁判所において兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物放火未遂の各罪により懲役二年一〇月(未決勾留日数四六〇日算入)に処せられ、右裁判は同年七月二五日確定し、

たものであつて、右各事実は、右各被告人に関する前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

一  罰条

(一)  第一の一(1)、第四の(1) 刑法二〇八条の二・二項、六〇条。

(二)  第一の一(2) 爆発物取締罰則三条、刑法六〇条。

(三)  第一の一(3)、第一の二(2)、第一の三(2)、第一の四(2) 爆発物取締罰則四条。

(四)  第一の一(4)、第一の二(3)、第一の三(3)、第一の四(3) 刑法二〇一条本文(一九九条)、六〇条。

(五)  第一の二(1)、第一の三(1)、第一の四(1)、第二の(3)、第三の(2)、第四の(2) 刑法二〇八号の二・一項、改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(上記各行為時と裁判時との間に改正があつたので、刑法六条、一〇条適用。以下同様。)。

(六)  第二の(1) 刑法一三〇条前段、六〇条、改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号。

(七)  第二の(2) 刑法二三四条、二三三条、六〇条、改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号。

(八)  第二の(4)、第四の(3) 刑法九五条一項、六〇条。

(九)  第三の(1) 刑法二三七条、六〇条。

二  科刑上一罪の処理

(一)  観念的競合 刑法五四条一項前段、一〇条。

1 被告人中野、同八木、同松平、同大久保の判示第一の一の各所為について。

(1)と(2)と(4)、(3)と(4) 結局全体を一罪として法定刑および犯情からして最も重い(3)の刑で処断。

2 被告人工藤、同伊藤、同若宮、同重松、同日浅、同博田、同若林、同深尾、同森、同福田の判示第一の二、同穂積の第一の三および同大越の第一の四の各所為について。

各(1)と(3)、(2)と(3) 結局いずれも全体を一罪として、最も重い(2)の刑で処断。

3 被告人松平、同森の判示第三の各所為について。

(1)と(2) 犯情のより重い(1)の刑で処断。

(二)  牽連犯 刑法五四条後段、一〇条。

被告人中野の判示第二の(1)と(2) 犯情のより重い(2)の刑で処断。

三  刑種の選択

第一の一(3)、第一の二(2)、第一の三(2)、第一の四(2)、第二の(2)、第二の(3)、第二の(4)、第四の(2)および第四の(3)のいずれについても全被告人に対し所定刑中懲役刑を選択。

四  併合罪の処理

(一)  被告人松平、同大久保、同大越および同森について、前記の確定裁判のあつた各罪との関係で刑法四五条後段、五〇条。

(二)  被告人中野、同松平および同森について、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条。被告人中野および同松平については最も重い第一の一(3)の刑に、被告人森については最も重い第一の二(2)の刑に、それぞれ法定の加重。

五  主文第二項(未決勾留日数の算入)

刑法二一条。

六  主文第三項(刑の執行猶予)

刑法二五条一項。

七  主文第四項(訴訟費用の負担)

刑訴法一八一条一項本文。

(弁護人の主張に対する判断)

一  判示第一の大菩薩峠事件の証拠物・書証が違法収集証拠であるとの主張について、

(一)  弁護人の主張の要旨

(1) 証拠物について

本件捜査・押収は、被告人中野勝輝に対する昭和四四年七月六日のいわゆる内ゲバ事件の逮捕状の執行に伴なうものとして刑訴法二二〇条一項により行なわれたとされているが、本件の場合、右内ゲバ事件に関する重要証拠物の存在の高度の蓋然性も、捜索・差押の必要性も、令状の請求手続をとれないほどの緊急性も認められないうえ、右被告人(当時被疑者)の発見に先行して行なわれているのであつて、同条項が要請する諸条件をすべて欠いており、またその場所的範囲も同条項が許容するところを大幅に逸脱している。さらに、本件捜索・差押は、捜査当局が、福ちやん荘に集まつた赤軍派学生らが何らかのことを起すことをおそれ、これを予防するため、何らかの証拠物を探し出して、これらの者を検挙しようと考えて行なつたものであり、前記逮捕状の執行は全くの口実にすぎず、本件捜索は「別件捜索」(他罪の令状による強制処分を利用してそれ自体令状をとるだけの資料のない本命たる犯罪の捜索を実行し、それによつて何らかの証拠を集め、捜査を推進しようとすること)とでもいうべきものである。

したがつて、福ちやん荘において押収された本件証拠物は、違法収集証拠であり、証拠能力を欠くとすべきものである。

(2) 書証について

福ちやん荘に集まつていた被告人中野以外の赤軍派の学生ら全員は、早朝、寝ているところを警察官に踏み込まれ、そのままの姿で屋外に連行されて、制服、私服あわせて三〇〇名くらいの警察官に包囲されたものであり、これは、何ら逮捕の要件がないのに行なわれた逮捕とみるべきであり、引き続いて行なわれた現行犯逮捕も、当時兇器準備集合たる外観がほとんどなかつたのであるから、その要件を具備していなかつたというほかない。

また、不当拘束状態を利用して、前記(1)のような違法な捜索を行ない、その結果としての違法に収集された証拠物に基づき、現行犯逮捕することが許されないのは明らかであるうえ、仮に現行犯逮捕の要件を充たしていたとしても、それはそれ以前の不当拘束と実質的に不可分一体のものとみるべきであり、本件身柄拘束の全体を違法とせざるをえない。

福ちやん荘で逮捕された被告人らやその共犯者とされる学生らの捜査官に対する供述調書は、いずれも違法な逮捕およびこれに引き続く勾留による身柄拘束中に採取されたものであつて、憲法三一条、三三条、三四条、三八条および刑訴法一条に違反する違法収集証拠であつて証拠能力はないと言わねばならない。

(二)  当裁判所の判断

(1) 事実認定

証人佐藤英秀、同菊池正司、同稲垣三郎、同玉井修治、同石堂宰および同雨宮昭三の当公判廷における各供述(但し、一部の被告人については、公判調書中の右各証人の供述記載部分)並びに、被告人らとともに福ちやん荘で逮捕されたいわゆる共犯証人の当公判廷における供述および公判調書中のその供述記載部分などの関係各証拠を綜合すると次のような事実が認められる。

イ 警視庁公安部では、昭和四四年一〇月末から一一月はじめにかけて、佐藤英秀警部が中心となり、赤軍派の動静を探つていたが、当時、赤軍派が一一月はじめにどこかで合宿訓練を行なうこと、佐藤首相訪米阻止のための具体的行動を計画していることなどの情報を得ており、一一月三日、赤軍派の千葉グループの者を尾行した結果同日夕刻大菩薩峠の福ちやん荘に赤軍派の学生らが相当数集合していることが判明した。

ロ 同夜から、警視庁公安部は、地元の山梨県警の協力を得て、福ちやん荘周辺で赤軍派の者らの視察を継続し、翌四日早朝、前記佐藤警部が、山梨県警塩山警察署に赴き、現地での最高責任者として、視察結果の報告を受けつつ、会議を開いて対策を検討していたが、当日、山中での視察の結果、赤軍派の者ら数一〇名で、何か訓練をしているらしいこと、見張りを立てるなどしてその周囲を厳重に警戒しているらしいこと、爆発音とおぼしき音が聞えたことなどのことが判明する一方、視察員が、山中において別件で逮捕状の出ている赤軍派幹部中野(当時、右別件の被疑者であり旧姓の上野で呼ばれていたので、以下単に「上野」とすることとする。)とすれちがい、間違いなく同人であることを確認したとの報告も佐藤警部のもとに届いた。右各報告をもとに、佐藤警部らは、種々検討した結果、逮捕状の出ているいわゆる昭和四四年七月六日の明大和泉校舎における内ゲバ事件で、上野を逮捕することに決定したが、山中の地理や植物の状況、赤軍派集団の動静等からみて、山中で上野一人の逮捕を無事に完了することは困難であるとの判断のもとに、福ちやん荘周辺での視察を継続し、当日夜上野が福ちやん荘に、他の赤軍派の者らと宿泊したことが明らかとなつたので、赤軍派の者らの抵抗による不測の事態を避けつつ上野の逮捕を完遂するには、翌五日早朝多数の制服警察官らを動員し、あらかじめ赤軍派の者らに気づかれないようにして、福ちやん荘に踏み込んで行なうほかないということとなつた。その後、多数の赤軍派学生らが集結していることから、その中には、すでに逮捕状の出ている者もいる蓋然性が高いということで、被告人松平らの逮捕状約一〇通を取り寄せて準備し、警視庁をはじめ、千葉、大阪、京都の私服警察官約一〇〇名と、警視庁および山梨県警の制服警察官二〇〇余名が動員され、佐藤警部の指揮により、五日早朝福ちやん荘へ向かい、上野逮捕およびこれに伴い他に逮捕状の出ている者がいれば、その逮捕も行ない。あわせてこれらの逮捕に伴う捜索・差押を行なうこととなつた。

ハ 一一月五日午前六時ころ、右警察官らの部隊は福ちやん荘の外周を包囲し、同六時五分ころ、佐藤警部らが同荘の管理人雨宮昭三に対し上野の逮捕状を示して事情の説明をはじめたが、その最中に赤軍派の一部の者が、気づいて逃走しようとしたのか、同荘内から激しい物音がしたため、制服警察官が、逃走防止のため、すぐに踏み込み、赤軍派の者全員を、ほとんど寝ていたままの姿で同荘の外の庭に連行し、周囲を制服警察官が取り囲み、ほとんど全員に対し、両手を首のうしろに上げさせたりしたが、赤軍派の者らからは抵抗らしい抵抗はなかつた(なお当初赤軍派とは無関係の千葉大学学生らも警察官の包囲網の中に入れられたが、同人らの抗議により、すぐに包囲網の外に出された。)。そして、午前六時一五分ころまでの間に上野のほか、被告人松平ら三名くらいについて逮捕状の執行がなされ、その間、捜索担当の警察官らが、福ちやん荘の赤軍派の者が使用していた部屋全部を捜索したところ、爆弾かもしれないと思われる鉄パイプや試験管、ピース缶のほか、合計約四〇本の登山ナイフ、くり小刀等が発見されたうえ、いまだ封をしていない封書一〇数通が見つかり、その内容をみると、死か逮捕あるのみというようなことが書かれ、遺書的内容のものが多く、これらのほか部隊編成を記載したらしいメモや救援対策メモもあり、佐藤警部はこれらの物を直接見たり、部下の報告で内容を了知しつつ、前記イの事前の赤軍派に関する情報をも勘案しつつ、赤軍派の者全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕するかどうかをしばらくの間、考慮し、その結論が出るまでの間、赤軍派の者らに対する包囲を継続することとし、午前六時二五分ころ、赤軍派の者らが、登山ナイフ等を持つて直ちに首相官邸襲撃を進撃しようとしていることが明らかであるとの判断のもとに、その全員を兇器準備集合の現行犯人として逮捕する旨の決断を下し、その旨他の警察官らに指令し、その後まもなく、全員が現行犯逮捕された。右指令と同時に、福ちやん荘における捜索も右現行犯逮捕に伴うものというように切り換えられ、前記の鉄パイプ等多数の証拠物件が押収されるに至つた。

(2) 法律判断

1 弁護人は、一一月五日早朝の警察部隊の福ちやん荘への踏み込みは、上野の逮捕に名をかりたものであると主張しているが、上野の前記別件自体も、後に起訴されてはいないが、決して軽微な事案とはいえず(内容については西田政雄の検察官に対する昭和四四年一二月五日付供述調書参照)、一一月四日の午後上野発見時点で逮捕することは、前記のような事情で警察官が危険だと判断したことは一応もつともだと思われ、他の場所で容易に逮捕可能であつたとは認められないから、右主張をそのまま肯認することはできない。しかし、他方、佐藤警部らは、当日の行動は、上野逮捕ということに焦点をしぼつたもので、赤軍派の者らの行動視察の目的は断念していた旨証言しているが、これもそのとおり信用することはできないのであり、前記認定の当日の行動に至るまでの経緯に鑑み、上野逮捕に伴ない、同時に赤軍派の者らの動向の把握もできるだろうと考えていたものと思われる。けれども、そのことのゆえに、当日の警察部隊の行動を違法もしくは不当視することができないことは勿論である。

2 佐藤警部によると、上野逮捕までの間に、赤軍派の者全員の逃走を阻止し、前記のように、福ちやん荘の外の庭に立たせて包囲した根拠は、これらの者に対し、上野逮捕に伴なう混乱を防止するために任意の協力を求め、全員がこれを了承したことである。すなわち右措置は任意手段であるということである。しかし、寝ているところに踏み込んだり、逃げようとするのを阻止し、一人について二人の警察官が両脇からかかえるようにして外に出し、その周囲を多数の制服警察官が包囲した措置は逮捕に近い身柄拘束であつて任意手段だとみることは到底困難だと思われるのみならず、警察官らによる協力要請の旨が、赤軍派の者らに伝えられているか否かは疑問であり、仮に伝えられたとしても、不意をつかれ、混乱状況下にあつた赤軍派の者らが、その趣旨を理解して、任意に協力したと認めることも不可能である。

3 しかし、だからといつて弁護人主張のように、右身柄拘束の措置をただちに違法視してよいかは疑問である。なぜならば、上野逮捕に赴いた当時、上野自身は、他の赤軍派の者らと行動を共にしており、本件以前に赤軍派は累次の過激な武力闘争を敢行していること、前日の視察の結果、何か訓練をしているほか爆発物をもつているとの疑いもあつたこと(爆発音の正体は結局不明であるが、弁護人が疑うように警察官らのでつち上げでないことは、中尾真の検察官に対する昭和四四年一一月二五日付供述調書にもあることから明らかである)などの情況からみて、警察官らにおいて、上野を逮捕しようとすれば、他の赤軍派の者らがこれを妨害し、爆発物等により不測の事態が発生するかもしれないとの懸念を抱くのは当然であつて、現実に他の者による妨害がある以前においては、上野以外の者に対し、一切強制力の行使は許されない、すなわち、事前に他の者による妨害の予防のための措置がとれないとするならば、このような場合、事実上逮捕状の執行は不可能ということになるからである。もとより、法が、このような場合に、強制手段たる逮捕状による逮捕を断念すべきだとしているのでないことは明らかである。結局のところ、法は、通常逮捕状の執行に際し、本件の場合のように、被疑者の仲間の者が、被疑者と行動を共にしており、逮捕の妨害、それも爆発物等を用いての極めて危険な手段による妨害に出る蓋然性が、相当高度であると認められるときには、その仲間の者に対しても、その妨害をあらかじめ予防するために必要な最少限度の強制力を行使することを、逮捕状による逮捕に随伴するやむをえないものとして許容している、すなわち、右のような強制力は、通常逮捕を強制手段として認めている法が、当然に予定しているものであると解するのが相当である。

4 そこで、本件について、これをみると、佐藤警部自身も不測の事態を避けるために、早朝を期して福ちやん荘に踏み込んだ旨述べており、右にみたような事前の妨害予防措置をとるという意識も少なくとも潜在的には有していたと認められ、具体的にとられた措置も、両手を首のうしろに上げさせたりしたこと、寝ていたままの服装でかなりの時間屋外に立たせたことなど若干のいきすぎも認められるが、基本的には、事前に妨害を予防するために必要最少限度の範囲を逸脱していないと認めることができる。なお赤軍派と無関係な千葉大学生らの件は、仮に違法だとしても、第三者の被害であつて、被告人らに対する違法収集証拠排除を根拠づけるものではないと解すべきである。

5 次に、当初の捜索について、佐藤警部らは、上野の逮捕に伴なうものとして、逮捕状の被疑事実である前記内ゲバ事件の証拠物即ちゲバ棒等の兇器、右事件についてのメモ、当時の着衣等を念頭において、これを実施した旨述べているが、四か月も以前の場所も全く異なる内ゲバ事件の証拠物が福ちやん荘に存在する蓋然性は、極めて小さいとみられるのであつて、そのまま信用しがたいところである。しかしながら、刑訴法二二〇条一項二号による捜索・差押は、重要証拠の確保のためばかりではなく、逮捕者の身の安全を確保するためにも許されると解されているところ、捜索の対象となつた福ちやん荘の部屋はいずれも、上野を含む赤軍派の者がその直前まで支配していた場所であつて、前記3のように、被疑者以外の者に対する強制力の行使が是認されると解される本件のような場合、逮捕者の身の安全を期するための兇器の捜索は、それらの者が支配していた場所についても許されると解するのが相当だと思われるほか、被疑者がこのような緊密な関係にある集団の最高幹部であるというような場合には、その集団の支配下にある場所はすなわち被疑者の直接の支配下にある場所にあたると解することもできると思われる。本件の当初の捜索についても、前記4にみたとおり、佐藤警部らにおいて少なくとも潜在的には、上野逮捕を不測の事態を防止しつつ完遂するために、兇器の有無を確認するためとの意識もあつたと認められ、事実当時五〇名余の赤軍派の者が現場にいたのであつて、福ちやん荘内における兇器の有無を確認しないで、これらの者の行動の自由を許すと、不測の事態が生ずるかもしれないとの懸念には相当の根拠があり、右捜索をなすべき緊急の必要性も肯認できるところである。

6 右捜索の結果、先にみたような種々の証拠物が発見され、若干の考慮時間をおいたうえ、現行犯逮捕がなされており、その考慮時間中も前記4にみたとおりの身柄拘束状態を継続しているが、すでに兇器となりうる物が発見されており、前記3にいう強制力行使の必要性が継続しているうえ、現行犯逮捕に極めて接着したその準備的段階においては、この程度の自由の束縛は許されてよいとも解しうるのであつて、違法といえないことは明らかである。

7 以上によると、被告人らに対する現行犯逮捕に至る経緯中に、若干不当な点は認められるが、逮捕自体を違法とすべきほどの事情はないのであつて、弁護人の違法収集証拠排除の主張は前提を欠くことになり、その余の点について判断するまでもなく、採用できないことが明らかである。

二  爆発物取締罰則が違憲であるとの主張について

(判示第一の大菩薩峠事件)

(一)  弁護人の主張の要旨

爆発物取締罰則は、その制定過程および全体の内容からみて、現行の憲法、刑法、刑訴法の体系あるいは民主主義社会下における法感情に全く異質な、封建主義社会あるいは戦前の治安体制下の理念に基づくものであることが明らかであり、違憲・無効というべきである。

(二)  当裁判所の判断

同罰則は、現行憲法下においても法律としての効力を保有しており、本件で適用される同罰則三条中の所持罪および四条中の使用共謀罪の規定は、いずれも構成要件が不明確とはいえず、また爆発物の持つ大きな危険性に鑑みると、罪と刑との間に、立法府の裁量の範囲を逸脱するような不均衡があるともいえず、これらの規定を違憲・無効とすべき根拠は何ら存しないのであり、右主張は到底採用できない(なお、最高裁昭和四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一五一頁参照)。

三 違法性阻却事由の主張について(判示全事件)

(一)  弁護人の主張の要旨

弁護人は、判示全事件について、被告人らの行為は、目的の正当性、法益の均衡、手段の相当性および補充性という違法阻却事由のすべての要件を充足するものであるほか、第一、第三および第四の各事件について、いわゆる抵抗権の行使としても違法性が阻却され、第二の事件については緊急避難あるいは正当防衛であると主張している。

(二)  当裁判所の判断

被告人らの本件各行為はすでに判示したとおりであり、その判示事実自体からみて、いずれの行為も違法性を有することは明白であり、個々的に詳しく立ち入るまでもなく、いずれの主張も到底採用できない。

四 以上のほか、弁護人は一と同旨の主張を判示第三、第四の事件についてもしているが、理由がないことは第一の事件についての当裁判所の判断から明らかであり、事実認定および法規解釈上の問題点を数多く指摘しているが、当裁判所が重要だと考えた点についてはすでに説明を加えたとおりであつて、その余の点はいずれも結論的にはその主張を採用しえないが、その説明は省略することとする。

(量刑の事情)

大菩薩峠事件は、判示のように、周到な計画、準備のもとに、首相官邸襲撃を敢行せんとしたものであり、前記のように、福ちやん荘に集結した当初から警察当局により、その動静を観察され、結局は計画が発覚して逮捕されるに至り、さいわい事なきをえているが、もし警察当局による探知が遅れたならば、襲撃計画はほぼ確実に実行に移され、全被告人ともこれに加担したであろうと考えられ、本件兇器、ことに前記各爆弾の多大なる殺傷力に鑑み、警備に従事する警察官らに、多数の死傷者を出す蓋然性が高かつたと思われるのであつて、本件自体は単に、謀議および訓練の段階にすぎなかつたとはいえ、事案悪質であつて、被告人らの刑責は重大である。

ところで、この種の集団事犯の量刑においては、刑法が内乱罪や騒擾罪において、主謀者と一般参加者との間にかなりの刑の差をもうけている趣旨も尊重されねばならず、本件においても、被告人ら以外の参加者中には、若年でいまだ思慮・分別が未熟であつて、一時的に赤軍派の主張に共鳴したにすぎない者も多く、このような者らを煽動して過激な犯行に駆りたてようとした主謀者らの刑責はきわめて重大であるし、本件各被告人の刑責を定めるには、赤軍派内での地位・役割、本件襲撃計画中における地位・役割が最も重要視されなければならないと思われる。

さて、大菩薩峠事件において、被告人中野および同八木は、本件集団中では最高の地位にあつた者であり、同松平および同大久保は、これに次ぐ地位にあつて同中野らの意を受けて現場における指示・説明、訓練の指揮をなした者であることが明らかであつて、これら四名の刑責は重大であつて到底実刑をまぬかれないものであるが、被告人中野は、判示第二の事件において、同松平は、判示第三および第四の各事件において、いずれも指導的役割を果たしているといつた事情があるし、四名の被告人にはいずれも前科等がある。他方、被告人中野については、保釈後、しばらくしてからは、医学の勉強に励み、現在医師としての道を歩んでおり、自己の過去の行動への反省のきざしもうかがわれること、被告人大久保については、捜査段階において、自己の行動について自供し、反省しており、本件公判における態度を観察すると、再犯の可能性は乏しいと思われることといつた事情も認められる。

次に、被告人森、同博田および同大越は、いずれも首相官邸襲撃計画において、中隊長に選ばれているうえ、福ちやん荘への集結以前の会議にも出席し、各地で参加を呼びかけるなどしており、その刑責は重大であるし、いずれも前科を有している。そして、被告人森は、このほか、第三および第四の各事件においても相当重要な役割を果たしているし、被告人博田は、本件当時現に執行猶予期間中、それもその言渡を受けてわずか五ヵ月を経たにすぎなかつたものであるし、被告人大越は、本件における主要な兇器というべき鉄パイプ爆弾一七本の運搬という重要な役割を果しているといつた事情があり、三名の被告人とも捜査段階において自己らの犯行を自供(ことに森、博田両名の自供内容は詳細である)し、反省していたことは認められるが、いずれの被告人についても刑の執行を猶予するのは相当でない。

引続いて、その余の被告人九名についてであるが、被告人若林を除き、いずれも逮捕歴を有しているが、全員前科はなく、本件当時の赤軍派内における地位も、被告人福田について、部隊編成メモ上中野、八木と同格に記載されているということから若干の疑問はあるが、結局のところ、その地位は不明であつて、「疑わしきは被告人の利益に」ということから同人を幹部とみるわけにはいかず、いずれも幹部であつたとは認められないし、首相官邸襲撃計画においてもさほど重要な地位は与えられておらず、本件の謀議や訓練において果した役割にも顕著なものは認められない。そして、一部の被告人については、検察官指摘のとおり、たしかに再犯の可能性がないとはいえないようであるが、本件審理の過程を通じての各被告人らの言動を観察すると、大多数の被告人については、再犯に陥ることなく、更生の道を歩むことを期待してもよいように見受けられる。また、いずれの被告人についても未決勾留が相当長期間にわたつていることもあり、すでに多数の共犯者が執行猶予の裁判を受けていることとの均衡をも考え、いわば一兵卒として加担したこれらの被告人については、全員、今回に限り刑の執行を猶予するのが相当だと思われる。

当裁判所は、以上のほか一切の事情を考慮し、前記確定裁判を受けている被告人については、それらの罪と、本件各罪とが法律上同時審判の可能性があつたことをも勘案し、各被告人に対し、主文第一項のとおり刑の量定をし、被告人中野、同八木、同松平、同大久保、同森、同博田および同大越を除く九名の被告人に対し、主文第三項のとおり、その刑の執行を猶予することとした。

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